「縁」
今日(2021.3.12)は大宮にいます。大変お世話になった方と会うために来ました。
大変お世話になった方、それは私を拾ってくれた恩人で初めてP店に入社した時の社長、金田さんです。
その方との出会いは1997年。当時の私は25歳、遊技機販売会社の若い営業マン。元来の勝気な性格で会社と衝突ばかりしていろいろと燻っていた、そんな慇懃無礼な私に「これくらい元気があったほうがいい」と目をかけてくれて「ウチに来ないか?」と誘ってくれた方です。
このP店は埼玉県でしたが新店を長野県松本市に出すということでそこの釘調整担当として迎え入れたい、ということでした。まだ25歳、業界歴2年の若造も若造の私です。後年、それこそ20年後に改めて「何であのとき私を誘ったんですか?」と聞くと「わからん、なんとなくだな。なんとなく決めた。」という返答。でも、その“勘”のおかげで今の私があります。
もちろん入社しても上司と衝突ばかりの私です。
弁だけは立つのでひたすら反論ばかり繰り返し、(これも後に聞きましたが)当時の上司(常務)が「アイツはダメです、口ばっかりです。」ということを上申したことがあったそうです。元職の販売会社の社長が「アイツを手元に置いたらアンタが“ババ”引くぞ?」と凄んだ、という話も聞きました。
これに対して金田社長は「まだ若い、もうちょっと長く見てやれ。アイツは使い方次第でモノになる。」と宥めていただいていたようでした。
少し思い出話を。
松本地区の総責任者をしていた2001年、28歳の春にかねてより病気療養中だった私の父が亡くなりました。会社に連絡し実家の福井に急遽戻ったその日の夜、お通夜の場には金田社長の姿がありました。全ての予定をキャンセルして、決して道程が簡単ではない福井まで埼玉から社長が駆けつけてくれていたのです。そのままお葬式まで丸々2日間、福井にいていただけました。
私は別の意味で涙がこぼれました。ただの一社員のためにここまでしていただけるということに。
ただ、ここまでして思っていただいた会社を私は34歳で退職します。理由は「もっと大きなフィールドで勝負がしたい」という身勝手なもの。退職を申し出たとき金田社長は泣いてくれました。
しかし、快く送り出していただけました。「林くんはウチでは狭すぎる。」と言われたことを覚えています。
人生の恩師がいるとしたら、間違いなく私はそのうちの一人に金田社長を思い浮かべます。
金田社長には足を向けて寝てはいけない、常にそう思っています。(実際は別として)
そんな金田さんに会えた今日。5年ぶりくらいだと思いますが不覚にも泣いてしまいました。
「何を泣くことがある(笑)」と慰める金田さん。25年たっても優しい笑顔でした。
出会いと別れ。
別れがあっても未来はどうなるかわからない。
縁、素晴らしいと思った3月12日でした。